「攜」と「携」
「攜(携)」についてのメモ。結論については保留。調べたきっかけは一見さんの「過剩矯正ではないか」といふコメント。けふ學校の歸りに圖書館で借りてきた「旧字旧かな入門」に據ると、携の正字は攜(5824)とされますが、実際にはあまり遣われず、新字体と同じものが用いられていました。また表の左側のもの(引用者註:攜の右側が山のない雋)も遣われました。
とある。しかし手持ちの簡易な篆書字體表をみると、小篆、繆篆ともに「攜」と同じ構成になってゐる。これってどういふことこれが「正」でないならば、正とは何なのだ、といふのがけふの出發點。
松田簡治と上田萬年による大正十五年十月初版の「大日本國語辭典」昭和四年修正第六版にはけい-たい{携帶たづさへ持つこと。ともなふこと。
とあり、大槻文彦の「大言海」第二卷昭和八年五月初版初刷にもけい-たい(名)[携帶]〔携ハ、攜ノ俗字〕タヅサフルコト。身添ヘテ、持チユクコト。「携帶」
とあるから、旧字旧かな入門に書いてあることは正しいといへる。しかし、戰前の表記と同じなら「舊字」ないし「正字」なのだらうか。
白川靜の「字通」1996年では[形声]正字は攜に作り、けい(引用者註:攜の右側部分、以下雋で代用)声。雋は雋周、杜鵑(ほととぎす)の異名とされる。雋の字形からいえば、台座に鳥を据えている形。そのようにして鳥を携え、鳥占をしたのであろう。ゆえに提携の意味となる。〔説文〕十二上に「提なり」とみえる。
とある。また、同じく白川靜の2005年「新訂字訓」には以下に引用する通り、携の字も万葉の昔から使はれてゐた
しい。
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少女 らが少女さびすと 唐玉を手元に纏 かし同輩兒 と手多豆佐波利 (携はり)て遊びけむ時の盛りを…… 〔万八〇四〕川上梟帥 、其の童女 の容姿 に感 でて、則ち手を携 たづさへて席 を同 にして、坏 を擧げて飮 ましめつつ、戲 れ弄 る。 〔景行機二十七年〕- 人も無き國もあらぬか
吾 妹兒 と携 ひ行きて副 ひて居 らむ 〔万七二八〕- うつそみと
ネン ひし時に携手 吾 が二人見し 出で立ちの百枝槻 の木 こちごちに枝刺せる如 春の葉の茂きが如く…… 〔万二一三〕(前略)〔詩、
[北+おおざと]風 、北風〕に「手を攜へて同 に行かん」、〔公羊伝 、じょう(引用者註:壤の右側)二十七年〕に「其の妻子を攜ふ」のように人に用いることが多い。……
まとまってゐない考へを述べると、古くから使はれてきた文字であっても字源が明らかであれば、戰前の活字を再現することが目的でなければ「正し過ぎ」「過剩」などと言ふことは無いやうに思ひます。