「古いから正しい」ではなく「古いから正しいこと【も】ある」に對して

古いから正しいのではなく、古いことのうちに正しいことあるといふのは十分承知してゐるところです。

単に伸ばす音は「う」で表すのが通例だから、といふだけのことなのでは? それ以上に何かあるんでせうか。いまひとつ趣旨がわからないけど、「何でオぢゃなくてウなんだよ。それが適切だと新仮名派以外にも納得させられるのか」といふ素朴な詰問ならば大いに賛同といふか雷同したいところです。

いまひとつ趣旨がわからないけど ご免なさい、僕も意味がわかりません。單に學校へ行くバスの車中から義士祭の幟を見て氣になったことをメモ代りに書いただけなので、「趣旨」とか言はれてもこっちが困るのですが。しかも、なぜ叩かれてる(皮肉られてる? 揶揄されてる?)のかが分からないので、反論のしやうもありません。別に現代かなづかい支持者やかなづかひを意識してゐない者に對して「正かなづかひを否定しておいて不徹底が罷り通るのは許せん」とか言ってゐるわけではなく(さう見えるかもしれませんが)、ましてやかなづかひが古いから正しいなどとは一言も言ってゐません*1。「あか+ほ」なのだから古くのとほり「あかほ」と書くのが適當だと思ってゐます。もっともこれは「赤穗」の語源を考慮してゐないので、あくまで字面だけ見ての話です。

単に伸ばす音は「う」で表すのが通例だから、といふだけのことなのでは? それ以上に何かあるんでせうか。 一往補足しておくと、現代仮名遣い原則ではオ列の長音 オ列の仮名に「う」を添える。としてゐるが、「表記の慣習による特例」として例外が示されてゐる。一般的には例外を含めて「正しい」とされてゐて、原則を徹底すると通例として「誤り」だとさへされてゐる。それなのに「赤穗」は原則に隨ってゐる、といふことを言ひたかったのが、もとの「十二月二十二日 赤穗」での話題です。落ちはありません。

*1:漢字についてはあります。