青髯館日乘

2007/4/5 Thu
青髯館日乘
管理人紹介では平成18年(2006)8月7日歿。戒名 涎牛院縦逸嘉辰清居士とあるが、青髯館日乘は今も續いてゐる。これはどういふことだらう?別人が書き續けてゐるのか、それとも本當は亡くなつてはゐないのか。
その人は間違ひなく生きてゐる。引用されてゐる部分だけを見ても、根據は三點。第一に位置。歿の後ろに戒名があるといふことは、死後に付けられた戒名であることが推測できる。第二に字數。十文字もある上に院も居士も附いてゐる。坊主にこんな戒名を付けさせたらいくら掛ることか。もちろん遺族が金を積んだ線もあり得るが、考へにくい。第三に字面。とてもではないけれど、壇家の強い希望がない限りは寺の坊主はこんな戒名は付けない。坊主が付けなければ良いことだが、遺族がこの戒名を認めるとも考へにくい。以上からこの戒名は「死後に付けられた」「本人が考へた」ものであることが導かれる。この二つは背反するので、涎牛院氏は生きてゐる。

追記

當の平成18年(2006)8月7日の日記を見てみると、どうやら交通事故に遭って屈辱を味はったらしい。なるほど。