平成十九年二月十八日日曜日

きのふはふとんを買って、始めて新居で夜を過ごしました。今度の部屋では電話回線を引かないので必然的にPHSが無二のネット環境になります。WX320Kを期に[4x]にしようかなあ。しばし考へ中。

けふの朝は伯父母の家(高級分讓マンションの上層階)に要らない家具を貰ってきた。この伯父はいろいろ商賣に手を出してゐる人で、今度東京の會社を疊んだので札幌に歸ってくるさうで、大分家具が飽和するので貰ってくれと。……家をふたつ持ってそれぞれに高級な家具を揃へるなど、庶民の俺にはまったく出來ない行爲だが、かういふときには願ってもゐないことで、ありがたく頂戴してきた。從弟が一時期使ってゐたベッドと單身用の冷藏庫・洗濯機・炊飯機と從姉の勉強机とMDコンポ。慥かにどれも餘分なものだったのだらうが、感謝されると申し訣がない。一往、win-winとはいへるのだらうが。お蔭で、まったく身分不相應な部屋になってしまった。

そこから祖母宅に戻って一休み。祖母と歡談してゐたら寢入ってしまった。宅を出る前に佛壇に掌を合はせると、エアメールが載ってゐた。祖母に訊くと、祖父の親友だった朝鮮人の金(なにがし)さんが三回忌に間に合ふやうに手紙を送ってくれたといふのだ。手紙は流暢で讀みやすい日本語で書かれてゐて、特別綺麗ではないがしっかりした字體だった。もちろん、かなづかひはハ行で活用してゐた。あたりまへだ、金某さんは現代かなづかい施行當時には日本にゐない。祖父は樺太で生れ育ち軍隊に入って抑留*1された人だったので、おそらく金某さんもさうだったのだらう(それ以外に接點は考へられない)。内容は祖父を悼む文章、韓國での生活などが便箋二枚に綴られてをり、密度の濃いものだった。言語についても言及されてゐて、韓國の文字の話、自分の朝鮮語が北訛りで恥づかしい思ひをしたことなどが書かれてゐた。時間がなくて全文を讀切れなかったのが殘念。惰眠を貪った自らを恨む。

*1:ソ聯軍によるシベリア抑留。